MJ CULTURE

2016.09.01 Thu UPDATE INTERVIEW

全米チャンピオンZENが語る!
「パルクールに人間の可能性を感じたんです」

全米チャンピオンZENが語る!<br>「パルクールに人間の可能性を感じたんです」

全米チャンピオンZENが語る!

「パルクールに人間の可能性を感じたんです」

周囲の環境や地形を利用して身体動作だけで自由に空間を移動するフランス発祥のトレーニング方法<パルクール>。そのパルクールを2014年、三代目J Soul Brothersの楽曲「O.R.I.O.N.」のMV内で披露し、一躍脚光を浴びたのがパルクールパフォーマー・ZENである。彼が語るパルクールとの出会い、そして未来への展望とは?

――まず初めにパルクールとはどういうものなのかを教えてください。
ZEN「周囲にある環境を使って飛んだり、走ったり、つかまったり、効率的に移動する動作の中で自分の身体を鍛える、フランス発祥のトレーニングメソッドです。足が速くなりたい、跳躍力をつけたい、回転技を成功させたい、そういった目標に対してどういう力を養っていくか。そのトレーニングの過程がパルクールということになります。パルクールによって鍛えられた肉体や精神力を活かしてパフォーマンスするのが、僕たちパルクールパフォーマーです」

――ZENさんは15歳の頃にパルクールと出会ったそうですが、どのような出会いだったのでしょうか?
ZEN「ある日、クラスメイトが観せてくれたYouTubeの映像がパルクールだったんです。まるでアニメや映画のワン・シーンのような動きを生身の人間が街中でやってしまう。そんなパルクールに人間の可能性を感じたんです。同時に、同じ人間だったら自分にもできるのではないかとも感じていました。パルクールと出会う中学3年生までは何をやっても長続きしなかった自分が、その日の放課後から見よう見真似で練習を始めました。自分の中でひとつの扉が開いた瞬間だったと思います」

――ZENさんの人生を大きく前に進めたパルクール。具体的にパルクールのどのようなところに惹かれたのでしょうか?
ZEN「最初はトレーニングだなんて考えもしなかったですが、パルクールのルーツを調べていくうちにどんどん深みにハマッていきました。そこからどうしても本場が見たくなっていって、高1の夏休みに渡米するんです。何のコネクションもないのにハリウッドで活躍するパルクールチームTEMPESTあてにメールだけを一方的に送って、知らずにはいられない、見ずにはいられないという想いだけで飛行機に乗りました。実際そのメールはまちがいだらけの英語だったんですけど(笑)、アメリカに着いてメールを確認したら返信があって、そのまま彼らに会いに行ったんです。そうしたら、「よく来たな」、「もうお前は俺たちのクルーだ」と家族みたいに接してくれたんです。結果的にリーダーの家に泊めてもらいながら一緒にトレーニングさせてもらうことになったんですが、そこでの経験が大きかったです。パルクールに対する価値観、向き合い方、トレーニングの組み立て方といったすべてを教わりました。それと同時に、当時日本では〈スリルを求めた若者の危険な挑戦〉みたいに思われていたパルクールに対する誤解を、僕がどうにかして晴らしていかないと、という気持ちも芽生えました。ずっと何かのせいにして生きてきた自分の人生観を変えてくれたのが、パルクールだったからこその気持ちだったと思います」

――一緒にトレーニングを積んだTEMPESTは、パルクール界において当時どのような存在だったのでしょうか?
ZEN「当時と現在では少し状況がいますが、僕が一緒にトレーニングしていた頃は世界中にパルクールを広めたチームと言っても過言ではないと思います。今は年齢的に第一線から退いていますが、TEMPESTがパルクール人口を増やした功績は大きいと思います」

――TEMPESTとのトレーニングで具体的に身につけたことを教えてください。
ZEN「テクニックやフィジカル的なことはもちろんなんですが、メンタルの部分でも多くを学びました。技ができることに意味を持つのではなく、理想とした動きができるように身体と精神力をトレーニングしていくことがパルクールなんですね。チームでトレーニングする意味も、TEMPESTで実感しました。パルクールには、プッシャーというプレイヤーの気持ちを高めてあげる役割の人もいるんです。自分との闘いなんですけど、みんなでがんばれるっていうのが素晴らしいなと。今の僕の仲間のコミュニティでは、このメソッドがそのまま活きています」

――TEMPESTとは、どのくらい一緒にトレーニングしていたのですか?
ZEN「高校を卒業するまでは日本とアメリカを行ったり来たりの生活でした。卒業してからはアメリカに行くか日本にいるかを迷ったのですが、20歳までは日本でパルクールを普及する活動をしていこうと決めました。これは運命だなと感じたんですが、19歳最後の月に今の所属事務所であるLDHに所属させていただきました。これはもう日本のパルクール・カルチャーを担っていく使命をもらったんだなって気がして。自分の人生を変えてくれたパルクールに恩返しをしていくために、様々な舞台やメディアなどに出させていただいてパルクールの本質を伝えていくことが、今の僕のスタンスとなっています」

――パルクールの大会について教えて欲しいのですが、そもそもどのようなことを競うのかといった基礎的なお話からうかがえますか?
ZEN「ボディビルの大会と同じように、トレーニングした結果を競います。トレーニングをして獲得した肉体と精神力を使ってパフォーマンスして、その結果誰が素晴らしかったかの順位をつけていくといった感じですね。パルクールはトレーニングなのに大会で競い合うのはおかしいと反対する意見もありますが、僕はパルクールを盛り上げるアクション(行動)としては意味のあるものだと思っています」

――2011年に日本初開催となったパルクール世界大会『RED BULL ART OF MOTION』で、大会初出場ながら世界第5位に。この結果を振り返っての感想を教えてください。
ZEN「そもそも世界大会は招待制なので出たいから出られるものではなくて、この大会の時、開催国出場枠でエントリーできたんです。これも運命だったと感じます。この頃からプレイヤーとしてパルクールを語れる人間になることを目指していたので、出場することの意味も凄く感じていました。最終的に世界第5位という予想以上の結果を残すことができて、注目を浴びられるようになり、そこから仕事も増えて世界大会にも招待されるようになって、とまさしく転機となった出来事でした」

――その後、2015年8月には北米大会に出場して日本人初の優勝、同年12月の世界大会では5位に。さらに今年の世界大会では3位と順調に結果を残せているのは、何が要因だと思いますか?
ZEN「順調と言えば順調に思われるかもしれないのですが、実は大きな挫折もあって…。2011年に世界5位になったことで、デトロイトとギリシャの大会に招待していただけたんです。そこで、日本の大会から1ヶ月後にデトロイトの大会だったこともあり、似たようなパフォーマンスになってしまったんです。それでは勝てるはずもなく、ファイナリストに1ポイント差で負けました。当時の僕は、その1ポイントの差を上回ればいいという考えだったので、自分の得意技をめちゃくちゃ練習して次のギリシャの大会に挑んだんです。予選なんて余裕だろうと過信していたら、結果予選落ち。自分にとって最適な条件ばかりで練習していたので、少しでも違う条件になると歯車が狂ってしまい、思うようなパフォーマンスができなかったんです。結果を残しているプレイヤーのみなさんは、天候や環境、疲労にも影響されない。でも、自分はその程度のプレイヤーだってことを思い知らされました…。二度とそんな想いをしたくないと痛感して、3年間は修行に費やすことにして根本からトレーニングをし直しました。そして、もう一度世界大会に挑戦しようとエントリーしたのが、2015年8月の北米大会。そこで優勝して初めて、ギリシャでの大敗に意味を持たせることができたと思っています」

03

――現在は表現者としてCM出演や『HiGH&LOW』プロジェクトで俳優業にも挑戦されるなど、ここ日本でもZENさんの影響でパルクールに注目が集まっています。その状況をご自身ではどのように感じていますか?
ZEN「パルクールという動きのひとり歩きではなく、プレイヤーにも興味を持ってもらうことが、パルクールの発展につながると思っています。結果として、今こういう形でパルクールの話をさせていただく機会が増えていることは、何よりも嬉しいことでもあり非常にありがたく感じています。この先もっともっと発展させていきたいと考えていて、次のステージとしてはみなさんにパルクールを楽しんでいただくところにモチベーションがあります。パルクールの存在を知っていただいた方の中には、超人的でどこか人間離れしたものと捉えている方も多いと思うんです。僕はその意識を変えていきたい。パルクールは自分をよりよくするために、ヨガやフィットネス感覚で始められるトレーニングなんです。腹筋を割りたい、ダイエットしたい、運動能力を高めてケガをしない身体にしたいなど、現在の自分の肉体と精神をコントロールできるトレーニングがパルクールなんです。子どもたちが心身ともに健全に成長していくために、パルクールを教育に取り入れるのも非常に効果的だと個人的に思っています。最近はパルクールのスクールも増えているので、習える場所や集える環境も提供していくことができたらと思っています」

――『HiGH&LOW』の撮影を振り返って、何かエピソードがあれば教えてください。
ZEN「アクション監督さんと何度も打ち合わせさせていただいて、人を使ってパルクールしたり、モノを持ってパルクールするとか新しい挑戦がありました。『HiGH&LOW』を通してパルクールが広まったのは事実であり、日本のパルクール・シーンにおいて重要な1ページになったと思っています」

――そんな中、7月27日(水)に初のフォト・エッセイ『FLY』をリリースされましたね?
ZEN「パルクールで教わったことは書籍でも形にしてみたいと思っていたので、このお話もありがたかったです。正直こんなに早いタイミングで出版できるとは思っていなかったのですが、今の自分の感情や思っていることをフォト・エッセイという形で詰め込みました。タイトル通り、僕がパルクールと出会い、自分の殻を破り、成長して世界に羽ばたいていこうとする半生を描いています」

――では、今後トライしてみたいことなどを教えてください。
ZEN「パルクールの文化を作っていくことです。プレイヤーとして世界チャンピオンという目標に向かって進んでいくことに変わりはないんですが、自分が第一線にいる間は仲間と文化を作っていきたいと思っています。パルクールは誕生してまだ20~30年くらいなので、パルクール・ファッションやパルクール・ミュージックというものを作っていくのも僕ら世代の使命だと思っています。今あるものを守るだけではなく、新しいものを取り入れてパルクール独自のカルチャーを発展させていくことが必要だと思っています」

――最後に今後の目標や夢についても聞かせてください。
ZEN「目標は世界大会で結果を出すことです。日本人でも世界チャンピオンになれるってことを証明したいです。そして、日本人、アジア人に可能性を感じていただきたいと思っています。あと、これは今もこの先もずっと変わらない気持ちですが、常にパルクールにとって必要な人間でありたいです。だから、プレイヤーだけに固執していなくて、プレイヤーとしての限界がきたら新しい世代を全力でサポートして一緒にパルクールのカルチャーを盛り上げていきたいと思っています」

 

01
【PROFILE】
ZEN
1993年5月13日生まれ、23歳。パルクールパフォーマー、俳優。15歳でパルクールを始め、その単身渡米。L.A.のパルクールチームTEMPESTとともにトレーニングを積む。2015年8月には北米大会『North American Parkour Championships』に出場し日本人初の優勝を果たす。現在、初フォト・エッセイ『FLY』(1800円+税)が好評発売中。

04

 

 

図2

« 一覧