おおよそ2年間の沈黙を破り、この春、復活――。
“復活”と呼ぶのは少し違うだろうか。そう“帰還”だ。
2017年3月より俳優業を一時、休業していた山本裕典が表舞台に帰って来る。
昨年12月20日、1年10ヶ月ぶりに俳優活動の再開を報告したばかり。
2019年3月に上演される舞台『となりのホールスター』で主演を務めることを発表し、
その後、5月に公開される映画『Revive by TOKYO24』で
俳優の寺西優真、歌手のギュリ(KARA)とともにトリプル主演を果たすことがわかった。
そこでMJPは、現在、本格的な再始動に向けて準備中の山本を直撃!
休業時の生活、芝居への思い。そして、これから目指す自分…。
たっぷり1時間。今の偽らざる心境を、存分に語ってくれた。
本日は「新しい出発」という意味を込め、朝日をバックに早朝から撮影を。久々のグラビアの現場はいかがでしたか?
「純粋に楽しかったです。これまで何十回、何百回とやってきたはずなのに、ものすごく楽しかった。仕事に追われている時は、もちろんちゃんとやってはいましたが、どこか“仕事”としてカメラの前に立たせてもらっている時もあって。でも今日は、「ああ、ココだな」っていうか…何でしょう? グッとくるものがありましたね」
山本さんとは雑誌『Street Jack』からのお付き合い。『Men’s JOKER』(ともに弊社刊)でも大変、お世話になりまして。
「こちらこそデビュー以来、お世話になりました。『Jack』さんでは表紙でも使っていただいたり、感謝しかないです。何と言いますか…休んだ途端、急に疎遠になった人、中には連絡がとれなくなった人も大勢いたんで、こうしてまた誘ってもらえることが本当にうれしいですね。ありがたいな、と思います」
その休業の日々、何をされていたのか…? 本日は、まずそのへんの話から聞かせて下さい。
「デビューから12年間、仕事しかやってこなかったので、今までしたくても時間的になかなかできなかったことをやっていました。ゴルフに行ったり、両親と姉の家族と沖縄旅行に行ったり。あと、映画を観たり。映画は、それこそ千本くらい観たんじゃないかと。飲食のお店をやっていたこともあって、働く時間が夕方からなんですよ。「それまで何やろう?」と思うと、映画を観るくらいしかやることがなかったのもありますが(笑)、近年に公開された映画は、ほとんど制覇しましたね」
生活のサイクルは?
「めちゃくちゃ規則正しかったです。前は正直、遅刻も多かったんですね。真夜中に撮影が終わることも多々ありましたし。若いし、その時間から朝まで飲むこともあって。でも、それがまったくなくなりました。何も用事がない時は、夜12時に寝て、朝8時くらいには起きる。判で押したような生活を送っていました」
テレビは見なかったんですか?
「うーん…ほとんど見なかったです。というか、気持ち的に見られなかった。やはり同世代の俳優がテレビに映っていると何とも言えない気持ちになって…。だから、もっぱらバラエティ。とか言って、番宣や映画のパブリシティで出てくることも多いから、すぐにチャンネルを変えてましたけど。映画も、邦画は意地でも観なかった。やはり悔しかったんでしょうね…」
先ほどもおっしゃっていましたが、東京に2店舗、大阪に1店舗の飲食店(韓国料理店)を経営されていたんですよね?
「そうですね。おかげさまで今でも経営は順調で。だからこそ、従業員に任せて俳優業を再開できますし。従業員の生活をあずかって切り盛りしてきたことで、今までとはまた違う責任感が芽生えましたし。舞台では、そういう変化もお見せしたいです」
変な話、体型が変わったとかあります? 飲食店だから試食したりする機会も多いでしょうし、見られる仕事ではなくなったわけですし。
「確かに、腹は…(自分の身体を見ながら)出ましたね。この1月で31歳。言うてもおっさんなんで(笑)。でも、昔が痩せ過ぎだっただけで、まだ年相応というか。それでも今回、舞台と映画の話が決まってから知り合いのエステに行ったり。表舞台に再び立たせてもらう上でのメンテナンスをしましたけど」
その舞台、『となりのホールスター』ですが、これはどんな経緯で?
「俳優活動を休止した直後からオファーはあったんですよ。ネット系のドラマとか、映像のお仕事も何本か。台本を読んだこともありました。よく言われている「2年縛り」のようなものはなかったです。でも、自分の中で「もう一度やるなら舞台」という思いもあって…。そんな時、CM(不動産などを手がけるリブマックス社)のオファーがあり。ちょうど同じタイミングで小劇場の舞台のお話をいただいて。以前、『山田くんと7人の魔女』(2013年、フジテレビ系)というドラマでお世話になったプロデューサーさん(柳川由起子)が「やってほしい役がある。そろそろどう?」と、声をかけて下さったことが大きいですね」
ご家族をはじめ、周りの方々の後押しは?
「それもありました。旅行に行った時、両親もどこか寂しそうな顔をしていましたし、心配そうでしたし。僕を応援して支えてくれる方々も「そんなお前は見たくない」と、おっしゃってくれたり。離れてった人もいますが、残った方々は俳優としての僕をまた見たいと言ってくれている。これまでの経緯に関して厳しい意見があるのも知っています。葛藤もありました。でも、戻れる場所があるのなら、もう一度がんばってみよう。必要としてくださる方がいらっしゃるなら、泥水を啜ってもいいからまた這い上がっていこうと覚悟を決めました」
「もう一度やるなら舞台」というのはなぜですか?
実は、俳優のお仕事は舞台が最初だったんですよ。プロフィールでは『仮面ライダーカブト』(2006年6月~12月、テレビ朝日系)がデビュー作になっていたと思うんですけど、それ以前に、50人くらいしか入らない劇場で何本か舞台に立たせてもらっていて。お芝居のことは右も左もわからなかった時なので、ずいぶん揉まれました。あと、やはりご心配、ご迷惑をおかけしましたからね。僕のことを応援していただいてるファンの方々も、きっと何人かはいらっしゃるでしょうし。直接、お会いしたかったというのもあります。
今回の『となりのホールスター』も100人~クラスの劇場です。
「そう、だから再出発にはちょうどいいなと思ったんです。イチからやり直す、初心に返るという意味でも」
以前、何かのインタビューで、俳優としての転機は舞台『躾』(2009年7月)だったと。そのへんも関係するんですか?
「そうですね。芝居の面白さを教えてくれたのがこの舞台だったので、やはり「(再出発は)舞台だな」と思っていました。あと狙ってたわけじゃないですけど、公演は平成から次の元号に変わるタイミングですし。僕、昭和63年の生まれなんで、新しく生まれ変わるにはちょうどいいんじゃないかなって。もちろん、芝居に飢えていたというのが一番にありますが、色んなご縁とタイミングが、たまたまこの時期に重なったんですよ」
『となりのホールスター』で演じるのは、元画家で、窃盗団のリーダーです。
「ある絵画を盗むために、美術商の隣で仲間とともにレストランを経営するのですが、その店が思わず繁盛しちゃって、そこから事態がどんどん変わっていく…という物語。仲間の中には「これだけ店が流行ってるんだったらチェーン展開した方がよくね?」みたいな奴が出てきたりするものだから、リーダーの僕が振り回される。これまで、どちらかと言えば振り回す、スパイスになる役が多かったので新鮮ですし、コメディも久しぶり。台本を読みながらワクワクしましたね」
先ほど「縁」と「タイミング」という話をされましたが、飲食店を経営する役というのも巡り合わせですよね。
「そうなんです。ご縁もそうだし、俳優の仕事って人生経験が大事だよな、と実感しました。5月に公開される映画『Revive by TOKYO24』では刑事役を演じますけど、休んでる間に刑事、警察ものも山ほど観た。それが役に反映されるかは別としても人生、役に立たないことはないって。失敗もツラかった経験も、何でも糧になるんだなって」
とはいえ、2年ぶりの芝居。怖くはありませんでした?
「正直、怖さはあります。蜷川幸雄さんの舞台(2012年、彩の国シェイクスピア・シリーズ『トロイラスとクレシダ』)に呼んでいただいた時の心境にも近いものがあります。当時、仕事が立て込んでいる中で、準備が足りないまま稽古に入ってしまって…。今とはなっては自分が甘かったと思うし、言い訳でしかありませんが、その時とはまた違った怖さ、緊張感がありますね」
アスリートの方が怪我などから復帰した際、その競技がいかに好きだったか気づいたというようなことをよくおっしゃいますが、改めて思うことはありますか?
(取材の時点で)「まだ、舞台も稽古に入っていませんし、映画の撮影もこれからなので実感はありませんが、すでに終わったCMの撮影をやっていている時も「楽しいな」、「やっぱ好きだな、この仕事」という思いは沸いてきました。今日のようなファッションのグラビアであればカメラマンさん、スタイリストさん、メイクさん…。色んな方の力が合わさって一つの作品になる。プロのみなさんがやられているお仕事だから当たり前っちゃ当たり前の話なんですが、そういう当たり前のことに感動している自分がいて。自分にとって「しがみついてでもいなきゃいけない世界」だということも再確認しました。まだリハビリ期間中なんで(笑)、上手く言葉にできないですけど」
若さゆえの勢いと若気の至り。紙一重なところはあると思いますが、正直「調子に乗ってたな、俺」って時期はありました?
「(笑)、それはあったと思います。デビュー以来、大きな仕事をたくさんやらせていただいてましたし、周りもチヤホヤして下さいましたし…。それで天狗になっていた部分もありましたね。だから、よかったっちゃよかった。あのタイミングで表舞台から一度、退いて。でないと、感謝の気持ちを忘れてズルズル――おっしゃったように紙一重なところはあると思うから、もしかして勢いでもっと売れてたかも知れないし。尻つぼみになって消えたてかも知れないけど、確実に今のような気持ちにはなれなかったと思います」
「今のような気持ち」とは?
「一般人として…って(「Y2」の名義で)DJ活動もしていましたし、半々ではありますが、いわゆる普通の暮らしを2年間していたことで改めて感じた人との繋がりであるとか、飲食業をやってわかった、お客さまの大切さであるとか。本当に、当たり前のことです。ホント、休む前までの自分がガキでした」
俳優業を再開した後のDJ活動は?
「音楽に詳しくないし、そもそもデカイ音が苦手なんですが(笑)、お誘いを受けたので勉強して。今も武者修行の最中なんですけど、「続けなきゃいけない」と思っています。みなさん真剣にDJをやっているし、がんばってる。僕も俳優業と並行することで片手間にならないよう努力したいです。もっともっと腕を上げて。さらに大きなハコ(会場)を目指して。その中で、出来る限り地方にも行きたいと思います」
SNSでは、全国各地のクラブでプレイする山本さんの姿が。
「この場をお借りしてお礼を言いたいんですけど、本当にうれしかったです。きっとクラブなんて初めて来たんだろうファンの方がキョロキョロしながら不安そうに入って来て。僕を見つけてうれしそうに写真や動画を撮ってる。もうテレビや映画では見られないと思ったんでしょうね。その姿を見て、心から申し訳ないなと思って。先ほども言いましたが、泥水を啜ってでも這い上がって。活動の場があれば、日本以外の国へも行きたいです」
立ち上げられた新事務所の名もDJ名と同じ「Y2」。込めた思いはあるんですか?
「それ聞かれると弱いんですけど(笑)、特にないんですよ…「Yusuke Yamamoto」の頭文字をとってY2。DJ仲間には、ヨウジ・ヤマモトのパクリってよく言われます(笑)。でも、意味なんて後から付いてくる。そう思うようにしています」
改めまして、この2年間いかがでしたか? 「まだ2年」なのか「もう2年」なのか。
「早かったです。だいぶ、早かった。「もう2年も経ったのか…」って感じですね。今までやれなかったことをやって、店も始めて。本当に、あっという間。ただ…忙しいし楽しくはあったけど、寂しくもありました。傍らには仲間もいるし、従業員もいました。でも、12年間ずっと人に見られる仕事をしてきたのもありますし…何より、生活の中から芝居というものがなくなったことが一番、寂しかったです」
例えばどんな時にそう思いました?
「前は台本を覚えていないとか、舞台で頭が真っ白になる…そんな夢を見てワッと起きるとかあったんですよ。それが突然、なくなって。台本から解放されたんだ…と喜んだのは一瞬で、すぐに寂しくなってきて。2年間でわかったのは何だかんだで、芝居が大好きなんだなってこと。2年間は決して無駄ではなかったけど、これからはその時間を取り返すくらいがむしゃらにやらなきゃいけない。幸いなことに、色んなことを自分で選択できるのでね。どんな役でもやっていきたいと思います」
では、2年間の休養は伊達じゃないっていうところを期待しています。
「変わっている…変わっていなきゃいけないといけないと思うんで。また同じことを繰り返さないよう、受け取る側の印象を覆すには時間がかかると思いますが、一歩一歩、誠実に取り組んでいきたいと思います。まあ、見ていて下さい」
【プロフィール】
1988年1月19日生まれ。愛知県出身。2005年、第18回JUNONスーパーボーイ・コンテストで準グランプリ受賞&フォトジェニック賞を受賞し芸能界入り。3/8~3/17に東京・新宿のサンモールスタジオで上演する『となりのホールスター』で主演を務める。5月公開予定の映画『TOKYO24』のスピンオフとして製作される映画『Revive by TOKYO24』で、俳優の寺西優真、歌手のギュリとともにトリプル主演する。DJ「Y2」としても活動中。
Interview&Text/Tatsunori Hashimoto
Photo/Junji Hirose
Hair/Kazuya Matsumoto
Styling/Yohei Shibayama
Wardrobe/DIESEL