作詞、作曲、トラックメイキングを自らこなす3VOCALS+1DJの4人組、THE BEAT GARDEN。その名前は、グループの真骨頂であるエレクトロなロックの“BEAT”と、オーディエンスと一緒に盛り上がる姿を花にイメージした“音の庭”に由来する。そのグループの来歴と、「まず歌をしっかり届けよう」という思いから制作した最新シングル「僕がいる未来」についてメンバー4人に話を聞いた。
――『Men’sJOKER PREMIUM』初登場ということで、まずはグループの来歴からお伺いしたいと思います。2012年に大阪の専門学校でUさん、MASATOさん、REIさんの3人が出会ったことが結成のきっかけだったそうですね。
U MASATOとREIの2人が先に友達になっていて、僕があとから2人と仲良くなったんです。それから3人でいることが増えて、学校の後も一緒にメシを食うようになりました。
――その専門学校は音楽の学校だったんですか?
U そうですね。あと、ダンスを習っている人たちもいました。曲の理論を教える学校ではなかったので、3人ともボーカル志望で。
――音楽の趣味が合って意気投合した感じだったんですか?
U 聴いているものは正直バラバラでした。みんなEDMは聴いていましたけど、それが凄く大好きというわけでもなくて。ただ、専門学校のなかでも、僕ら3人は夢に対する熱量を共有できる友達で。お互いに夢を語り合って、「そうだよな!」と共感できる間柄でした。
――それで、一緒に音楽を作ってみることになったわけですね。
REI 「試しに1曲作ってみようよ」となって、僕が仮のトラックを作り、3人それぞれがメロディと歌詞を考えてきて、1曲を完成させました。今聴くと恥ずかしい曲なんですけど、当時は「いいじゃん!」と盛り上がって。一週間後に「活動するなら東京でやりたいね」という話になり、東京に出てきた形です。
――それも急な展開ですよね。迷いはなかったんですか?
U 僕がその話をしたときは、2人も覚悟を決めて「うん、行こう」とすぐに言ってくれました。一週間後に……というのも、準備に時間がかかっただけで、東京に出ることは、その話をした時点に決まっていたんです。あと、僕の場合は出身が埼玉なので、実は地元のほうに戻るだけだったんですけど(笑)。
MASATO 東京は夢の場所だったので、「やっと行けるんだ」という嬉しさが強かったですね。あと僕は滋賀県出身で、大阪に出て専門学校に通う時点で大きな決断だったんです。だから躊躇はまったくなかったですし、親からは「大阪に出いてるんだから、もう東京も一緒だろ」と言われました(笑)。
――グループの音楽性は上京後に固めていった感じなんですね。
REI 上京して、ライブをするようになってからですね。最初は打ち込み要素が強いものだったり、生バンドのテイストの楽曲だったり、いろいろなパターンを試していました。そこでお客さんの反応も肌で感じながら、方向性がだんだんと固まってきた感じです。
――現在のグループはEDMやロックをベースにした「エレクトリック・ダンス・ロック」とも言える音楽性が軸にありますが、その要素も自然と入ってきた感じだったんでしょうか。
REI そうですね。ロックの疾走感や打ち込みの高揚感は、僕らのスタイルに合っていると早い時期から思っていました。僕らの音楽に、自由に心地よく乗って楽しんでもらいたい……という絵が、3人の中で共通して見えていたんです。それが自分たちのやりたいことなので、「そういうことをしたいよね」という話をよくしていました。
――その理想の音楽を形にするまでには、かなり時間もかかったんじゃないですか?
U どのぐらいかかったんだろう。2年ぐらいかな?
MASATO それくらい時間かかったかもしれないです。
U でも、今も自分たちの理想とする音楽を表現しきれているかというと、まだまだな段階だと思います。
REI 「僕らの軸が見えてきたね」ってハッキリ言えるようになったのは、インディーズで『Sky Drive』という楽曲を発表したときでしたね。
U その段階にたどり着くまでは大変だったよね。最初に路上ライブをしたときは、オリジナル曲も全然ないから、1曲をひたすら繰り返し歌う感じで。アコースティックな曲もないし、3人がボーカルで大きな声を出すから、歌えば歌うほど周囲の人が逃げていくんですよ。アンプを積んだ台車を引いて、六本木を歩きながら路上ライブをしたこともありましたけど、誰も聴いてくれなくて。
MASATO 並行して歩いている人がいて、「オレらの曲、届いてるな」って思ったら、その人全然聞いてなくてね。同じ速度で同じ場所に向かっていただけ(笑)。
U 「あー、聴いてくれてるな」って思ったんだけどね。
MASATO 大きな勘違いでした(笑)。
U 僕らのファンが1人もいないライブハウスでライブをやって、それを見ていたほかの出演者のおばあちゃんに「飛べ―!」って叫んだこともあったよね(笑)。
――そんな状態だったグループの転機になったのは何だったんですか?
U 六本木のライブハウス『Morph-Tokyo』での経験ですね。「僕ら、まだ音源もないんですけど、ライブさせてください!」って無茶な電話をしたら、「お前ら面白いから来いよ」と言ってくれて。その店長の阿部さんがいろんなことを教えてくれたんですよ。「こんな曲じゃ駄目だ」とダメ出しされたこともあったし、「このアーティストは良いから見ておけ」とタダでライブを見せてくれたこともあって。「オープニングアクトなら出させてやる」と、ステージの幕が上る前に歌わせてもくれて、そこでお客さんの反応も冷静に見られるようになりました。あの頃はホントに楽しかったから、ほとんど寝ないで曲作りをしたりしていましたね。それで、最初は2人だったお客さんが4人になって、そこから5人になって、9人になって……みたいな。
MASATO で、ちょっと減ったりね(笑)。
U たまに「なんで4に戻ったんや!」ってとき、ありましたね。それが突然50人になったときもあったり。
MASATO ありました、ありました。でもMorphさんにはホントにお世話になりました。
U 店長は恩人ですね。
MASATO まだまだ恩返しもできていないよね。当時の僕らはホントお金もなくて、ライブに出演するときのチケットノルマも払えない状態でしたが、Morphさんはそれも取っ払ってライブに出演させてくれました。だからこそ早く成長できたし、学べることもとても多かったと思ってます。
――SATORUさんがDJとして加入されたのはいつ頃だったんですか?
SATORU 3人が上京してきて、ライブを多くやるようになった時期からですね。僕とUさんとは10年以上前から付き合いがあって、歌手を夢見ていることも知っていたんです。それでUさんが東京に戻ってきてから、スタッフ的な立場でグループを手伝うようになって。
U それが上京してから1年くらいの時期かな。それから2年近く、機材を運んだり運転をしたりと、僕らの活動をサポートしてくれていました。ちょうどその頃、僕らもエレクトロの要素を取り入れたロックをやろう……と方向性が固まってきて、何人かのDJと一緒にライブをするようになっていたんです。どの人もすごく上手だったんですけど、何か違う感じがあって、「オレらも音楽より先に気持ちの部分で一緒になった3人だから、その部分を共有できる人と一緒にやりたいね」って話になって。その点、SATORUは僕と10年の付き合いもありましたし、THE BEAT GARDENの曲もすごく聴いてくれていたから、「1回DJやってみてよ」って頼んで。SATORUはまったく経験がなかったんだけど。
SATORU なかったですね。
U 加入するまでは1カ月ぐらい考えてたよね。
――やっぱり迷いもあったんですか?
SATORU 僕はもともとスタッフ的な立ち位置でグループに関わっていましたが、それと同時にファンでもあったんですよ。新しい曲ができるたびにUさんから聞かせてもらって、いつも「カッコいいな」って思っていましたし、「この3人ならブレイクするのも夢じゃないな」と僕は感じていて。だからこそ、そこに自分が入ることが想像できなかったんです。最終的に加入する決め手になったのは、昔から付き合いのあったUさんを見ていて、「この人について行ったら、なんか人生が面白くなりそうだな」と感じたからでしたね。
U 短く言うと、「オレと一緒にいたかった」ってことでしょ?
SATORU (小さな声で)はい。
――無理やり言わせた感じになっちゃってますけど(笑)。
U 今の「はい」、薄い字で書いといてください(笑)。
――しかしお話を聞いていると、音楽よりも夢でつながっているグループ……というのは、とても面白いなと思いました。
U あ、そうですか?
――上手くプレイできるDJの人と一緒にやって「違うな」と感じて、経験ゼロの友達に声をかける……というのは、なかなかできることじゃないと思います。
U やっぱり音楽の部分だけじゃなくて、一緒にいて楽しい人、好きな人と活動するほうがいいなと思ったんですよね。
――4人ではどんなふうに楽曲を制作しているんでしょうか。
U 具体的な曲作りの作業は僕とREIでやっていますが、「どんな曲を作ろうか」というアイディアは4人で出し合っています。そのテーマに向けてメロディをまず作って、それを4人の意見を取り入れながら変えていき、ある程度ベースができたらREIがトラックを作ります。それから僕は歌詞を書き始めて、主にMASATOと歌詞のプロットを話し合い、SATORUはREIとトラックのこととかを話して……という感じですね。
――制作の過程で衝突はないんでしょうか。
U 言いたいことはメチャクチャ言い合いますね。「それ、オレはぜんぜん違うと思う」みたいなことは、毎日のように言ってるんじゃない?
MASATO そうやって意見をぶつけ合うことは全然ありますね。
U 同じ夢とか未来を描いていて、そこに向かうために意見を言い合っているだけだから、別に引きずらないんですよ。相手のほうが正しいと思ったら「そうだね」って納得するし。
――その信頼関係があるからこそ、意見がすれ違っても「解決できる」と信じられると。
U そうですね。
MASATO だから、意見を言い合っても、あまり意固地にはならないですね。
――今回のシングルの『僕がいる未来』の場合は、どんなふうに曲を作っていったんでしょうか?
REI まず候補になるメロディが20曲くらいあって、それから4人で候補を絞り、最終的にこの曲になりました。そこからトラックや音は僕とSATORUさんで徐々に作っていき、プロットやテーマは2人に考えてもらいました。
――『僕がいる未来』の歌詞では、夢を見ている若者の強気さとか、蒼さみたいなものが描かれていて、このインタビューで伺ってきたグループの来歴と重なる部分が多くあるなと感じました。この歌詞はどうやって生まれたんですか?
U 最初は「春」や「卒業」というテーマがあったんですが、「もっと等身大の気持ちを歌詞にしたい」と途中から思いはじめて。僕らもメジャーデビューして1年半になりますけど、それこそ上京当時はライブハウスの仕組みも分からないままライブをして、何も知らないからこそ怖いものもなく、大きな夢や未来を語っていました。一方で今は現実を知ったことで、大きく踏み出せなくなった自分もいますが、それは決して悪いことじゃないとも思っていて。遠くばかりを見なくなった代わりに、目の前にきちんとピントが合うようになったし、数時間後も、明日も、自分らしく時間を重ねていけるようになった。そういうものも、未来と呼べるんじゃないかな……と思って、その4人の気持ちを今回は歌詞にしていった感じです。
――クレジットではUさんの作詞ですけど、全員の意見が反映されているわけですね。
U そうですね。歌詞を作っている途中段階のものも、完成したものもグループのLINEに送っています。それを読んで「違うな」と思った人は、個人LINEで返信をくれたり、電話をしてくれたり。
――返信はグループLINEじゃないんですね。
U たぶん僕に気を遣ってくれているんだと思います。今回はSATORUが電話で「ここの部分は、もっと簡単な言い回しでもいいんじゃないですかね」と言ってくれました。
SATORU その部分を分かりやすいニュアンスにしたほうが、トータルとして歌詞が届きやすくなると思ったんですよね。僕の中で「こう変えたほうがいい」という答えもなく、やんわりと意見だけ投げてみたんですけど、そしたら物凄くいい答えが返ってきて。
U いつも歌詞の部分ではMASATOが意見をくれるんですけど、SATORUが言ってきてくれたのは初めてだったから、嬉しかったです。
――あとこの曲の歌詞は、「強気だった過去の自分」も、「それを思い返しながら未来を見ている今の自分」も、そのどちらも肯定して、安易な結論を出さずに自分と向き合っているところがとても誠実だなと思いました。
U このシングルの前作にあたるアルバム『I’m』までは、どの曲でも僕らの音で体を揺らしてもらうこと、ライブで楽しんでもらうことに一番の重点を置いていました。それに対して『僕がいる未来』では、4人で話し合って「まず歌をちゃんと届けよう」と決めたんです。これまでは音の響きを考えて歌詞を英語にしたり、内容を端折ったりしたこともありましたが、今回はそれはやめて。だから、すごく自分に正直に書きましたし、大きいことを言えていた10代の自分をうらやましいと思える気持ちも書きました。あと、僕らは「東京ドームに立ちたい」ということをファンの人たちに前から言っていますが、それは立ったときに証明できるものだし、「それが自分たちの未来だ」と言い切れるTHE BEAT GARDENでは、まだなくて……。だからこそ、歌詞の中に「未来と呼ぶのかな」というフレーズが出てきたんだと思います。
――2曲目の『君は知らない』はラブソングですが、男の側の切ない心情を歌詞にした曲って、日本ではあまりないように感じました。
U 結果的にすごく切ない歌詞になった曲ですが、最初は4人で「THE BEAT GARDENのバラードは切ないものが多いから、明るいものを作ろう」と話し合っていたんです。だから今回は、メロディも芝生のある屋上の明るい場所で作ったりして。
――場所から変えてみたんですね。
U そうですね。その場で実際に明るくて良いメロディができて、MASATOに「歌詞書き始めるからプロット一緒に考えよ」って連絡して。僕らは普段からよく恋愛話をしているんですけど、今回もそういう話をして。それが直接歌詞になったわけではないですが、その会話の中で『君は知らない』っていうタイトルがまず浮かんできたんです。その言葉を起点に2人で主人公とプロットを考えていって、MASATOが出してくれた言葉や情景をもとに歌詞を書いていった感じです。
MASATO サビの頭の「僕の事を誰より知っている君が 一つだけまだ知らないことがあるんだ」って歌詞は、Uさんが最初に出した言葉だったんですよね。「これ、もう決まりですね」って感じの、この曲にしっくり来る言葉だったので、「一つだけ知らないことって何だろう?」と考えていって。そこから「それって、『好きっていうこと』を知らないんじゃないですか」という話をして、情景を広げていきました。
――男同士が話し合って作ったと聞くと、何だかすごく納得できる歌詞という気がします。女性側の視点が入っていないというか。
U あー。確かにそうですね。
――だからこそ男の側の一途さとか、繊細さみたいなものが描かれているのがとてもいいと思いました。でも、本当は明るい曲になる予定だったんですよね(笑)。
U いや、そうなんですよ。メロディもトラックもすごく明るくなったんですけど、今回は残念ながら歌詞が切なくなっちゃって。僕が恋愛に関してネガティブなタイプで、それが原因なんでしょうけど(笑)。
――一方で3曲目の『One hundred』は、グループの真骨頂と言えるエレクトリック・ダンス・ロックの楽曲ですよね。今回のシングルは3曲ともタイプの違う曲が並んでいましたし、グループとしていろいろな挑戦をしたい段階なんだなということが伝わってきました。
U 今回のシングルは、先ほども言ったように「歌を伝えたい」というのが一番強くありました。『One hundred』については、REIの「女性キーでみんなが歌えるアンセム曲をつくりたい」という提案から生まれた曲で、THE BEAT GARDENらしい曲ですが、この曲でも歌詞をちゃんと伝えるということは意識しています。
――確かに盛り上がれる曲でありながらも、明確なメッセージがある曲ですよね。歌詞に浸って聴いても感じるものがある曲というか。
U ありがとうございます!
――最後に、先ほどのお話の中にも出てきましたが、グループとしては東京ドームでの公演を目標に掲げているわけですね。
U そうですね。東京に上京してきてデカい会場でライブをするとなったら、武道館も横浜アリーナもありますけど、それは通過点の目標で。東京ドームのステージに立っている僕らの未来は、ファンの人たちと一緒に描いていきたいし、それが具体的であればあるほど一緒に走って行けると思ったので、赤坂BLITZでライブをしたときに宣言したことなんです。
――その「武道館は通過点で目標は東京ドーム」という夢の大きさは、『僕がいる未来』の歌詞に通じるところがありますよね。歌詞に出てくる「思い上がって間違いないと 耳も貸さなかった日々」の頃の気持ちを今も失わないようにしているというか。
U そうですね。何の根拠もなく、そういう大きなことを言えていた昔の自分たちが羨ましいし、それを「すごいな」とも思うんですけど、いろいろなことを経験してきた今も、それでもブレずに「立てる」って言い切りたい。言い切る自分たちでいなきゃいけない、と思っています。
PROFILE
VOCALのU、REI、MASATOと、DJのDJ SATORUで構成される4人組グループ。2012年、大阪の専門学校で出会ったU / REI / MASATOがグループを結成。1週間後に上京し、都内近郊を中心にライブ活動をスタート。2015年2月インディーズでリリースした1stフルアルバム『WILL』がオリコンインディーズランキング3位を獲得。12月よりサポートDJ SATORUが新メンバーとして加入した。2016年7月に1stシングル『Never End』でメジャーデビューを果たし、2017年夏に発売されたメジャーデビューアルバム『I’m』はオリコンデイリー5位と最高位を記録した。
THE BEAT GARDEN オフィシャルサイト http://thebeatgarden.com/
5thシングル「僕がいる未来」
UNIVERSAL SIGMA
3/7発売
初回盤 A (CD+DVD) /1950円(税込)
初回盤 B (CD+DVD+ステッカー) /1750円(税込)
通常盤 (CD) /1200円(税込)
「自分だけが歩める明日という未来」への不安と希望を描いた5thシングル。初回盤 A には昨年行われたメジャーデビュー後初のワンマンライブ「Sprout Tour」TSUTAYA O-WEST の模様(前編)を初収録したライブ DVD 付き。 初回盤 B には MV とメイキング(レコーディング、フォトシュート、ミュージックビデオ)のほか、 MASATO デザイン特製ステッカーを封入。
Photo:TAKAHIRO HAYAKAWA
Text:SEIICHIRO FURUSAWA